彼の口から出た「この一つ一つが被災された方々の人生そのものですからね」との言葉に私は胸を打たれました。
原型をとどめぬほど、泥まみれになったアルバムや通信簿、ランドセルなどを、歯ブラシを使って丁寧に泥をとり、天日で干し、可能な限り復元させる作業のことです。
「気温三十七度を越す猛暑のなか、実に根気のいる作業だったけど、みんな真剣に黙々と続けるんですよ」と、日本共産党からボランティアに行った友人の話を聞きました。
現地は海のすぐ近くなのに、全く潮の香りもせず、空気がほこりでよどみ、周辺一帯に悪臭が漂っているとのことでした。
そんな被災地には、四ヵ月を経た今も、まだ沢山の被災者が劣悪な環境の中で生きていかなければならないのです。
友人は、被災者に物資を届けたとき、つい「頑張ってください」と、言ってしまい、深く反省して、次からは「身体に気をつけて、何かあったら遠慮なく云ってください」と、被災者に話しかけるようにしたそうです。
私は、ボランティアに行った友人が、言葉や態度にも気を使いながら、頑張れるだけ頑張っている被災者に対して、寄り添った活動であったことに感動しました。
このように、日本のみならず、海外から献身的なボランティアが集まり、被災者の暮らしと気持ちを精一杯支えています。
私は友人の話を聞きながら「知恵を出さない奴は助けない」「客人を迎えるときには自分が先に部屋に入ってろ」などと、上から目線の暴言を吐き、辞した復興大臣のことを考えました。
人間には、考えたくもないのに、いやな奴ほど、思い出すことがあるものですが、こんな人物が初代復興大臣になるなど、ほんとうに許せない。あらためて怒りがこみ上げてきました。
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