シリーズ原発を考える③
人類の知識も技術も及ばぬ威力
原 子 力
1885年ドイツのレントゲンが人類ではじめて放射線を発見。その後キュリー夫妻がウラン鉱石から放射性物質を見つけました。しかし彼らは、五感では解らぬ放射線による被曝によって命を落としました。
それから110余年を隔た今、原子力は爆弾・潜水艦・空母など軍事目的で研究、開発されますが、軍事利用だけでは将来的に人々の理解と合意が得られないことから、その危険性を隠したまま平和利用が掲げられました。
そして日本の原子力は「安全神話」によって、暮らしの中に当たり前のように存在するようになったのです。しかし福島原発事故では、収束の道が見えないどころか、いまだに多くの人を不安に陥れていく一方です。
その原因は、人類の原発技術は原子力を安全に利用できるほど完成されたものではないからです。
原子力発電は、エネルギーと共に莫大な放射性物質を生み出しますが、この放射性物質を地震や津波をはじめ、どんな事態、事故が起ころうとも原子炉内に閉じ込めておく手段を持っていません。
厚別区にも多くの方が放射性物質から逃れて避難されてきています。
しかし、放射性物質は、この地球上の海を、大気を、風や海流で運ばれ、どこに停滞(ホットスポット)するのか、どこまでいくのか。いつまで続くのか。放出された放射性物質を制御する手段も人類は持っていないのです。 期限をきめて原発から撤退する道こそ、人類が選択すべき解決策ではないでしょうか。
他の事故と比べ物にならない
3つの危険
原発事故がひとたび起きれば、放射性物質が放出され、その被害はどこまでも広がる恐れ(空間的)と将来にわたって危害を及ぼす危険性(時間的)があり、制限区域や避難生活など地域社会も破壊(社会的)します。ですから原発事故は、他に類のない「異質の危険」をもたらすものです。人類では制御できない未完成な原発技術は、私たちの暮らしと社会に本当に必要なのか?大人が真剣に考えるときです。
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